私のストーリー

八木 明恵

八木 明恵(やぎ あきえ)

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AI活用ナビゲーター

社会福祉士

福祉専門職歴20年

 

目次

自分の判断を、AIで育てる

20年以上、福祉の現場を走り続けてきました。

ソーシャルワーカーとして一人ひとりの命と暮らしに向き合い、管理職として組織の判断を背負う日々。
その中で、いつも私の心の奥にあったのは、

「誰かに相談したくても、できない」

という、孤独な決断の積み重ねでした。

国からは、次々と新しい制度が下りてくる。
しかし現場では、今ある制度さえ人的フォローでつぎはぎしながら、どうにか回している状態でした。

整理する時間も、立ち止まる余裕もない。
それでも、目の前の利用者の生活は待ってくれません。

もし何か大きな判断ミスが起きたとき、それを支える責任体制すら脆弱なまま。
善意と責任感だけで、現場は今日も動いている。

そんな現実の中で、私は福祉の仕事を続けてきました。

AIとの出会いと、最初の問い

生成AIが誰もが使えるようになってからというもの、

どうにかして現場を効率化して、そのぶんもっと根本的に必要とされている業務に時間を割けないか。

プレイングマネージャーでもあった私は、日々の業務日報、議事録、会議整理、1on1準備、計画策定など、あらゆる場面で生成AIを試し続けてきました。

そのうちに、ある問いにたどり着きました。

「自分が不在のとき、代わりに判断できる人を、どう育てるか」

仕事は、小さな判断の積み重ねです。
福祉専門職としての成長も、状況を見立て、迷いながらも判断し、その経験を次の判断に活かしていくことの積み重ねでした。

AIを使う中で、私は考えるようになりました。

AIに答えを出してもらうのではなく、自分が何を見て、何に迷い、どんな基準で判断しているのかを、AIとの対話を通して言葉にできないか。

そう思い至ったのが、今の活動の始まりでした。

けれど同時に、AIが出した答えを、そのまま使う人が増えていく違和感もありました。

福祉現場では、小さな判断が、その人の人生を左右してしまうことがあります。
このままもし、専門職がAIに答えを求めることが当たり前になっていったら。

『人の暮らしや人生に関わる場面で、答えをAIにゆだねてしまってよいのか。』

その問いが、長年の現場経験を持つ私の中に、はっきりと残りました。

次世代への橋渡しの危機感

担い手不足、対症療法の繰り返し、複雑化する制度。
今、現場は善意と責任感で何とか踏みとどまっています。

この状況を次世代にそのまま引き継がないために、AIを使いながら、経験と判断を共有できる仕組みをつくっていきたい。
その思いが日に日に募っていきました。

世界が広がった出会い

そんなあるとき、一つのメソッドとの出会いが、私の世界を変えました。

政治も、教育も、テクノロジーも、あらゆる分野をまたいで自分の信念を貫き、やりたいことをやりたいだけやりながら、生き生きと活動している人たちが本当にいる。

それを目の当たりにしました。

もう50代。
そろそろ、自分が本当に必要だと思うことを、自分の仕事にしてもいいのではないか

そう思うようになりました。

独立後は、事業づくりの方向性を相談できるメンターの存在が、判断の節目の支えになりました。
そしてAI自身も、私にとって最も近くで思考を整理してくれる存在になっていました。

自分ひとりでは言葉にできなかった違和感。
現場で感じてきた課題。
福祉の経験を、これからどう社会に還元していくのか。

それらを、AIとの対話を通して少しずつ言葉にしていきました。

退職までの葛藤と「ハナサクAI」としての出発

それでも、約20年いた場所を離れることは簡単ではありませんでした。

安定した職場。
築いてきた人間関係。
専門職としての信頼。

それを手放して外に出ることへの迷いは、正直ありました。

なかでも

「福祉しか知らない自分が、外で通用するのか」

これはかなり葛藤しました。

けれど、現場で感じていた危機感と、世界が広がった出会いの両方が、私の中で少しずつ結びついていきました。

「変えるには、外に出るしかない」

そう思ったとき、進む方向がはっきりしました。

「今いる場所だけで信頼を得る人間には、なりたくない」

その声が、私の背中を押しました。

そして退職。「ハナサクAI」として、個人事業主になりました。

AIで人を支える仕事を、自分でつくる。
それが、20年の経験を社会に還元する唯一の道だと腹を決めました。

独立後に待っていた、想像以上の壁

しかし、独立してからの日々は簡単ではありませんでした。

自分を知ってもらうためのSNS発信。
マーケティング。
コンテンツ制作。
講座づくり。
LP作成。
動画制作。
受講者への案内。
個別相談。
新しいツールの習得。

福祉畑しか経験のない私には知らないことばかりで、自分の無知さを思い知らされる日々が続きました。

一方で、

「個人情報をどこまでAIに入れたらいいのか」
「使うのが不安」
「便利そうだけれど、仕事で使って大丈夫なのか」

そんな、参加者の声にどう応えるのか。
どこまで説明すれば安心につながるのか。
どこから先は、本人や組織の判断として持ち帰ってもらうべきなのか。

AIを広めたい気持ちと、安心して使ってもらうための方法。
その二つの両立をどうはかるかを考え続けました。

「個人情報を入れられないのは分かっている。けれど、手作業でマスキングする時間も手間もかけられない」
そんな福祉現場の切実な課題に応えたくて、エンジニア経験もないまま、アプリ開発にも挑みました。

「AI講師といえばテクニカル系」という市場の思い込みにもぶつかりました。
コミュニティでの若い人たちの吸収の速さを前に、自分に足りない要素にくじけそうになることもありました。

やはり、50歳を過ぎてから異業種に挑むのは、お門違いだったのかもしれない。

そんな強烈な不安がよぎる日々が続きました。

父の看取りが教えてくれたこと

そのさなか、最愛の父を看取りました。

認知症を患って、9年。
家族の声に耳を傾け続けてくれた父が、最後まで命を全うすることの尊さを教えてくれました。

人は、最後まで人として生きる。
誰かの声を聞き、誰かに支えられ、誰かの記憶の中に残っていく。

その経験は、自分に関わってくれている人たちへの感謝の気持ちを、あらためて呼び起こしてくれました。

AIのワークショップに足を運んでくれる参加者の顔が、目に浮かびました。

福祉職員。
町の管理職。
同世代のリーダーたち。
地域で人を支えている人たち。
組織の中で、誰にも見えない判断を背負っている人たち。

「この場が必要だった」

そう言ってくださる声が、自分にしかできないことをやっていく覚悟になりました。

小さな信頼が、形になり始めた

「これができなかったら先がない」

そう思いながら取り組んだUdemy第一作が、承認されました。

静かな朝の、静かな達成でした。

福祉の職能団体での登壇では、100名を超える方の前でAI活用についてお話ししました。
積み重ねてきたAIワークショップの信頼の延長から、初めての法人契約にもつながりました。
市政を支える人から、個別レッスンの依頼もいただきました。

大きな成功というより、ひとつひとつの信頼が、少しずつ形になり始めている感覚でした。

そして、「ハナサクAI」は商標登録の認可を受けました。

セキュリティを重視するAI講師としての立ち位置も、福祉現場から少しずつ評価され始めました。

その中で、ふと思いました。

「純粋に楽しいし、好きだし、奥が深い。AIに出会えて幸せだ」

不安もある。
迷いもある。
足りないこともたくさんある。

それでも、AIに出会えたことで、私はもう一度、自分の経験を社会に差し出す道を見つけることができました。

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まだ道の途中にいる

今は、まだ道の途中です。

それでも、私たちの暮らしを支えている福祉現場に、AIを届けたい。
地域に根を張りながら、世界の動きを自分の目で確かめ続けたい。

自分が発信していることは、誰かが見ている。
それがいつか、必要な場所で花開く。

そう信じて、動き続けています。

AIは、ただ仕事を早くするための道具ではありません。

使い方を間違えれば、思考を奪うこともあります。
答えを外に預け、自分の判断を手放してしまうこともあります。

けれど、使い方を選べば、AIは人の判断を支える力になります。
自分の考えを整理し、見えていなかった前提に気づき、言葉にならなかった違和感をすくい上げることができます。

私は、AIで思考を奪われるのではなく、AIで私たちの現場の判断を支えたい。

人の人生に直結する場面を、20年支えてきたからこそ、AIに答えをゆだねる怖さも、AIの可能性も、両方知っています。

その経験が、ハナサクAIの原点です。

AIに答えを預けず、自分の判断を育てる。

それが、私のAI活用の哲学であり、これからお伝えしたいことのすべてです。

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